コーカンドから車で約1時間。
リシタンまで足を延ばしました。
昔から良質の赤粘土が取れることで焼き物の街として栄えたリシタン。
街には陶芸関係に携わる人が6000人以上、陶工が800人以上いると言われています。
私たちはその中からナジロフ・アリシェルさんの窯を訪ねました。先生はこの後に述べるNORIKO学級の校長先生のお兄さんで、日本語もペラペラ。先生ご自身も日本に九谷焼を学びにいらしていたこともあり、日本にとてもお詳しい方です。
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工房には先生とそのお弟子さん、また、さらに昔の歴史あるリシタン陶器が飾られていて美しい✨絵になる工房でした。
先生に、リシタンの歴史や製法なども教わり、とても勉強になりました。

こちらがカルクボゴムという染料になる草。
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カルクボゴムを燃やしたもの。これが染料。
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 杏子の木で作ったろくろ。150年前から変わらぬ製法らしい。
彼は、先生のお弟子さん。小学校を卒業してすぐに弟子入りし、たった1人で住み込みで修行をしているのだそう。
朝食や夕食などは先生のお宅で用意するそうだが、お昼ご飯やその他のことは全て自分自身で。
娘たちと同じくらいの年齢、、、。
なんて偉いんだ💦
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タイルも作っていました。
白い部分はコバルトで焼くと青くなるそうです。赤っぽく見えるのは焼くと緑になり銅で塗っているのだそうです。
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 子供達は、NORIkO学級の校長先生とお話。
日本の学校とウズベキスタンの学校の勉強の違いなどについて話していました。
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ただ、ただね。こういうところがウズベキスタンっぽいんだけど、野ざらしで飾られているお皿、全部商品なんですよ😅
せめて売り物は室内に💦
私がどの陶器を買うか迷っていたら先生が、
「この皿なんかもザクロの伝統的な柄でね…」と説明してくれたあと、ヒョイっと投げるように元の位置へ。そしたらそこ部分がー!!ちょっと欠けましたけどー⁈😱😱でも先生は気にする様子もなし💦
私の方が気にしちゃうー💦
そんなわけで、買う時もなるべく欠けていないやつを😅どれも美しく迷いましたが、今回は深めの器を2個選びました。
リシタンの特徴である深い湖のような、緑とも青ともとれる味わいある発色が素敵!
帰国間近になったらまた買いに来ようと思います。
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 次に訪れたのは
 リシタンにあるNORIKO学級。先程の陶工の先生の弟さんが校長先生。ここでは、小中学生を中心に40人から60名くらいの生徒が無料で日本語を習っています。
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私たちが訪ねていくと、生徒たちが一斉に
「こんにちは!はじめまして!どうぞ中を見ていってください!」と、日本語で出迎えてくださいました。
「私の名前は〇〇です。どうぞよろしくお願いします。」ととても丁寧な日本語で挨拶をしてくれた男の子。年齢を聞いたら12歳。…うちの娘たちよりちゃんとした挨拶が出来るわ…。
しかも驚くべきことに彼はまだ日本語を勉強して2年ほどだそう。それなのに漢字まで書けるのだと披露してくれました。
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一体どれほど勉強をしたのだろうか。
日本人を実際に見たのは初めてだという子もいました。
ただ、日本への憧れがあり、日本語が話せるようになりたくて勉強してる。
「学ぶ」ということは、こういうことなんだろうな。
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18歳のお兄さんたちは、日本語の検定試験や弁論大会を受けて、いつか日本でも勉強したいという。日本語は完璧な発音だった。
私はとても感動しました!
そしてなんだか恥ずかしくなりました。
私は彼等ほど一生懸命に何かを学んだりしたことないし、彼等が憧れるほど大層な日本人ではない。

キラキラした目を持ったこの学校の子供達にまた会いたい!
絶対また再訪したい場所が増えました。
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日本のウズベキスタンガイドブックでは、NORIKO学級と工房は隣接していると書いてあるものが多いですが、場所が変わったようですので、ここに場所を記します。
工房はこちら。
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NORIKO学級はこちら

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もっと長くいたかったけど、帰りの電車の時間があるので、再び車でコーカンドに戻り、ホテルに預けていた荷物を受け取って駅へ。
この日、タシケントの自宅に戻りました。